音楽塾 ワクイ・システム
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涌井曄子さんを偲んで


〜高城 重躬・涌井 曄子・涌井 純子を想う時〜

作曲家 山本純ノ介

8月で一周忌を迎えられる涌井曄子さんを偲んで文章を書かせていただくこととなりました。私より適任の方がたくさんおられると思いますが、お嬢様をある時期からご指導さしあげ、様々なお話をするようになったことに起因するのだと思います。曄子さんを偲ぶということは、実兄であられる故高城重躬と幼児期における、早期音楽教育方法、教材を中心とする、涌井システムに触れないわけにはいかないことに気がつきました。以下一部履歴的と成る部分もありますが書かせて頂きます。

曄子、実兄の重躬のご両親は音楽家であった環境から、重躬は小学校入学前からピアノを弾き、東京高等師範学校理科第1部(数学)に入学。同時に、東京音楽学校(現・東京芸術大学)選科のピアノ科、後に作曲科に通い、ピアノを榊原直と田中規矩士、作曲を橋本国彦に学ばれます。都立高校の教員、校長をなさりながら、日本のオーディオ界の草分けとしても活躍されました。私事ですが、平成14年、母正美が亡くなる直前、突然、既にご逝去されていた高城重躬宅に私を連れて行くと言いだしました。レコード芸術などでも有名でありました立派なオーディオ機材や世界的ピアノであるシュタンウェイのフルコンサートが鎮座する音楽室を一人静かに守っておられた奥様にご挨拶に伺いました。私はその音楽室の存在感と質量の重厚さに圧倒されていたのですが期せずして母は、生前とてもお世話になり、オーディオの神様と心からご尊敬申し上げていた先生と奥様に別れのご挨拶に伺ったこととなってしまいました。

このご兄妹お二人の音楽を育んだのが涌井システムの前身ともいえる「玉鈴会」。ヴァイオリニストの父上とピアニストの母上によるものです。

曄子さんは幼少より作曲をはじめられラジオ等のメディアにも紹介された。東京音楽学校(現在の芸大)でピアノ専科を水谷達夫に学ばれ、作曲を斉藤高順、入野義朗、小倉朗の各師に学ばれました。師匠の影響でドイツの幼児教育に傾倒され、日本の幼児教育の音楽システム作りに興味をもたれた頃、涌井システムの源と成る「古い手箱」を昭和28年に執筆されています。これにともない、三女純子さんや彼女のご姉妹は涌井システムの実践者と成っていったのであります。このように、曄子さんは、生まれながら音楽一家に囲まれ、また教育の実践者を身近にもっておられました。 「絵おんぷ」などの早期教育のシステムの詳細についてはここでは割愛し、故人曄子さんについてもう少し業績をお偲びしたいと思います。

彼女が作曲された曲集「絵おんぷからバイエルまで」は昭和45年に出版されて以来80版以上再販を重ねながら、「たのしいリズム」「絵おんぷどうよう」「やさしい絵おんぷ」等を続々と出版されています。

一方、日本の十二音技法第一人者である入野義朗に技法のレッスンを亡くなるまで受けられています。師が代表を勤めておられたJMLセミナーの主任講師に招かれ「2歳からの音楽教育」と題し、教材開発、実践的な教授をされています。師の没後それらが涌井システムとして結実していきました。これら「絵おんぷ」や「鍵盤カード」は特許庁により実用新案許可されています。これら教育的な仕事の傍ら、童謡や歌曲の作曲にも才能を発揮され、作曲作品のリサイタルを断続的に行なわれています。

ご自身の作品のなかでも「火の花」をはじめとした歌曲に秀でた作品を聴くことができます。私の合唱作品は師である小林秀雄先生の影響が強いのですがそのご夫人、久美先生が故四谷文子先生宅でプローベされた時の演奏解釈を特に気に入られていたと伺っております。この曲が,歌曲コンクールでも演奏され上位入賞を果たしていることも記しておきたいと思います。

さて、彼女の継承者である純子さんは既に確固たる実績を残されているハーピストでありながら、私のところへ和声、作編曲を熱心に見せに来られるようになっていました。親子で出版されたCD「二羽の挿話」<Episode>を曄子さんの生前、拝聴しましたが、脈々と続く高城からの教育理念、音楽のエスプリとその姿勢が貫かれており、誠に美しい音楽作品と名演奏の一品でありました。 そして彼らにとっては当然のことなのでしょうが、その録音技術の高さ、緻密さに深く感心したところであります。 今後純子さんは、玉鈴会から伝承された涌井システムを継承されていくことになるのでしょう。否、既に継承されておられる純子さんはハープやピアノなどの演奏だけでなく作編曲の能力を兼ね備えた高い音楽能力をもっておられます。 そして、多くの人に好かれる人柄に加え、困難に立ち向かう勇気を持っておられるので、「玉鈴会」、涌井曄子からの音楽の伝承、伝統を踏まえつつご自分なりの個性を発揮されていくことであろうと期待しているところです。 謹んで御帰天を思いつつ、ご冥福をお祈り申し上げます。